太宰治「道化の華」―――「復讐」と分裂化する「現実」

 

 

 (注:上手く書けなくて廃棄したもの)

 

 

 

 

 「道化の華」という作品をどこから論じ始めればよいか。この困難さの理由の一つとして、作品が、判断を停止して宙吊りの状態で放棄されているような印象を受けるからではないか。後から見ていくが、構成する特異な作品構造がそのような宙づり状態を作り出すのではないかと思う。内容の面では、この物語が、「自殺」の「中断」(=「失敗」)から始まり―――その「終わり」(=「自殺」)は暗示されるだけで最終的に明示されることはない―――「富士」と「断崖」の間、「富士」の方は「不思議な色をしたきれぎれの雲が、沸きたっては澱み、澱んではまたゆるゆると流れて」、「断崖」の方は、「ふかい朝霧の奧底に、海水がゆらゆらうごいていた」この対比の中で主人公は立ち尽くしたまま文字通り空間的な「宙吊り」の位置に至ることによってこの作品は終わる。そのような中途で放棄される物語が作品構造と合わさることによって、この作品が何を伝えようとしているのか、あるいは、何を伝えないようにしているのか、迷路の奥深くに誘い込まれてゆくような感覚を覚える。もしかしたら、このように掴めたと思ったらすり抜けて行ってしまうような、近づけば近づくほど遠ざかってゆくような感覚は、これから読む「復讐」に関係があるかもしれない。

 

 

 僕はなぜ小説を書くのだろう。新進作家としての栄光がほしいのか。もしくは金がほしいのか。芝居気を拔きにして答えろ。どっちもほしいと。ほしくてならぬと。ああ、僕はまだしらじらしい嘘を吐いている。このような嘘には、ひとはうっかりひっかかる。嘘のうちでも卑劣な嘘だ。僕はなぜ小説を書くのだろう。困ったことを言いだしたものだ。仕方がない。思はせぶりみたいでいやではあるが、仮に一言こたえて置こう。「復讐。」

 

 

 

 <僕>は「なぜ小説を書くのだろう」という思わせぶりな問いかけを不意に発する。その答えに、小説を書く意味を「新進作家としての栄光」と「金」とを上げて、「どっちも欲しい。ほしくてならぬと」と言った後にすぐに「しらじらしい嘘」として否定する。そして、再び「なぜ小説を書くのだろう」という問いかけをする。結論から言うと、ここで行われている否定と反復の運動は、最後の「復讐」という言葉を際立たせる修辞的な効果を狙ったのも確かだろう。だが、むしろこの否定と反復の運動によってこそ「復讐」にたどり着くことができるとしたらどうだろうか。もちろん、この「復讐」という言葉さえも「仮」のものではあるし、この段落のすぐ前に、「ああ、もう僕を信ずるな。僕の言うことをひとことも信ずるな」という言葉も出てくるのだから、むしろ、この「復讐」さえも疑わしいものとして立ち現われることになる。というよりも、その時、つまり否定と反復の運動によって「復讐」が無意味化するとき、本当の意味で「復讐」が達成されるのかもしれないのではないだろうか。この作品において太宰治がどのように「復讐」を達成したのか、その「復讐」の方法を吟味したいと思う。

 まず、簡単にこの作品が発表された当時の状況をまず整理しておこうと思う。「道化の華」は、昭和10年5月に『日本浪漫派』に掲載された。この三か月前に「逆行」という作品が『文芸』に発表されている。この年の八月、第一回芥川賞の選考が行われて、「逆行」が候補作品、「道化の華」が参考作品になったが、次席であった。ちなみに、この年の第一回芥川賞を受賞したのは、石川達三の『蒼氓』である。川端康成の選評(「――なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」)に対する反論として、「川端康成へ」という文章がある。そこで、この「道化の華」の成立過程を作者自身が語っている。

 

 

 「道化の華」は、三年前、私、二十四歳の夏に書いたものである。「海」という題であった。友人の今官一、伊馬鵜平に読んでもらったが、それは、現在のものにくらべて、たいへん素朴な形式で、作中の「僕」という男の独白なぞは全くなかったのである。物語だけをきちんとまとめあげたものであった。そのとしの秋、ジッドドストエフスキイ論を御近所の赤松月船氏より借りて読んで考えさせられ、私のその原始的な端正でさえあった「海」という作品をずたずたに切りきざんで、「僕」という男の顔を作中の随所に出没させ、日本にまだない小説だと友人間に威張ってまわった。(…)元気を得て、さらに手を入れ、消し去り書き加え、五回ほど清書し直して、それから大事に押入れの紙袋の中にしまって置いた。

 

 

 太宰治が言うには、「道化の華」は、最初二十四歳の時に書いた「海」という作品をリテイクさせた作品である。原型になったとされる「海」は残っていないが、「断崖の錯覚」(昭和9・4『文化公論』)に関係があるのではないかと言われている。ちなみに、「道化の華」において三度印象的に反復される「美しい感情を以て、人は、悪い文学をつくる」という言葉は武者小路実光・小西茂也訳アンドレジッドの『ドストエフスキー』(日向堂、昭和5)の訳文に基づいており、太宰治もこれを読んでいることが確認されている。だからであろうか、「川端康成へ」の後半において、「その、冷く装うてはいるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情」という言葉からもジッドの『ドストエフスキー』を読んだ影響をうかがわせる。

 この作品は、第一創作集『晩年』(昭11・6 砂子屋書房)に収録されているが、後に『虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ』(昭12・6 新潮社)に再録されることになる。「道化の華」「狂言の神」「虚構の春」を合わせて『虚構の彷徨』三部作と呼び、それぞれに「真、善、美」の主題が込められていると言われている。ちなみに、大庭葉蔵は『人間失格』の主人公と同姓同名である。

この作品がじっさいに実際にあった太宰治の「心中未遂事件」を題材にしているのは周知の事実である。ミニマムな舞台設定と登場人物にも関わらずに作品に奥行を与えるのは、やはりその特異な、もっと言えば前衛的な作品構造からであろう。

 「道化の華」の前衛性はその作品の構造が担っている。<僕>という「語り手」(=「作者」)が物語を語りながら、それと同時にその物語の内容や構成に関する註釈を加えてゆくという構造になっている。これは、中村三春が言うように「小説創造と小説創造に関する陳述の同居という、メタフィクションの定義に完璧に一致する」[1]だろう。中村三春の「道化の華」論である「『道化の華』のメタフィクション構造」は、「道化の華」をメタフィクション構造の作品であるとして分析する記念碑的な論文である。ロマーン・ヤーコブソンの「コード」「コンテクスト」「コンタクト」「メタ・メッセージ」をメタフィクションの構造に適用して、メタフィクションの一般的な特性を三つ挙げている。

 

 

 (1)メタフィクションにおいては、本来メタ・コミュニケーションとして潜在するはずの、物語の状況設定そのものがメッセージの内部に含み込まれ、顕在化させられる(メタ・コミュニケーションの顕在化)。この結果、(2)メタフィクションではその読まれ方の規則が、あたかも通常のフィクション以上に厳密に指示されるかのように見える(自己状況設定の強化)。しかし結局、(3)そのメッセージ内容が現実に根拠を持たない虚構現象であるという事実をも、メタフィクションは明示してしまう(虚構性の自己暴露)。[2]

 

 

 この三つの特性を「道化の華」に適応して見せるとすれば、(1)(2)の「メタ・コミュニケーションの顕在化」と「自己状況設定の強化」は、「語り手」(=「作者」)である<僕>の「物語の内容や構成の註釈」がそれに当たるだろう。これをさらに細かく見てゆくと、「(1)筋や人物の内容についての語り手の補足や意見としての<メタ内容レヴェル>(コンテクスト)(2)小説の手法や言葉遣いへの註釈・批判としての<メタ言語レヴェル>(コード)(3)「君」という呼びかけを含む(対読者レヴェル)(コンタクト)」[3]として分解することができる。そして(3)の「虚構性の暴露」はこの「道化の華」が「これらのメタ・メッセージじたいが不断に自己解体し、自らをさらに注釈するいわば<メタ自己言及>」[4]によって、その「メタ・コミュニケーション」そのものの根拠を揺るがせ、「空中楼閣としてのフィクションの虚構性を暴露させる」[5]ことになる。

 中村の「道化の華」のメタ・フィクション読解は、松本和也が言うように「表現構造の分析が抽象的にすぎる難がある」し、「山崎正準が指摘するように、『道化の華』のすべてがメタフィクションという分析枠組みに収斂するわけではなく、その時死角となる《言葉の力学》にも配慮するべきだ」[6]としながらも、松本自身が論を進めるにあたって大筋の枠組み――「メタ内容レヴェル」(コンテクスト)「メタ言語レヴェル」(コード)「対読者レヴェル」(コンタクト)を利用している。しかし、松本が、中村のメタフィクション論よりも、より一歩踏み出しているとすれば、「メタ内容レヴェル」(コンテクスト)「メタ言語レヴェル」(コード)「対読者レヴェル」(コンタクト)に「読者」の役割を付け加えたことにより、「静的」であった中村の読解とは対照的に、「動的」な読解を可能にしているように思える。松本の論が、作品の内部/外部に広がる「昭和十年前後の《(現代)青年》という主題系」[7]を足掛かりにすることで、「作者」と「読者」の共犯関係によるテクスト生成のダイナミズムを捉えようとする。

 しかし、中村の論文も松本の論文も基本的に「道化の華」の構造の分析に徹しているがゆえに、内容の面にあまり踏み込んでいない印象を受ける。ある意味では、「道化の華」の困難さは、構造の前衛性ゆえに、構造の分析に終始して、内容の部分に踏み込むことが出来ないからではないかと思う。その理由の一つには、恐らく、この「道化の華」が昭和五年一一月に、バーの女給田辺あつみと鎌倉小動崎の心中未遂事件を図ったという伝記的な事実を題材にしていることが、この作品を太宰治その人に依った読解へと我々を誘惑するのも事実なのである。相馬正一が、筑摩版『太宰治全集』の月報「青松公園における思ひ出」の小館保のよう太宰治の近しい存在でも、「道化の華」に書かれていることが、「実録」であると認識されることによって、「それを自分の体験とミックスされた別の記憶を作り上げた」[8]のではないかと指摘する。つまり、ここで相馬正一が「信憑性が高い」とする「新聞記事や次兄の記憶」によって実証的に構成された現実と「中畑(慶吉)と小館の『道化の華』と自分の体験をミックスされた記憶」によって構成された「現実」に分裂していることが分かる。問題にしたいのは、このように分裂化する「現実」であり、現実が二重化して「現実」を産出してゆくプロセスそれ自体が「復讐」の別名なのではないかと思うのだ。なるほど、確かに中村が言うように「現実の事件の経緯を前提とした、実体験のコンテクストに照らしてこのテクストを読解する必要は全くない」[9] だろう。しかし、それにも関わらず、この現実を二重化してゆくシステムを稼働させるものが、暗示されるだけに留まる「自殺未遂」(=「心中事件」)なのではないかと思う。それはどういうことか。これは、現実を二重化して「現実」として分裂化してゆく方法としての反復に関わってくる。

 この「道化の華」には、多くの反復の運動を認めることが出来る。例えば、印象的な作品構造上の反復として、小菅がやってきたが、葉蔵と会わずに、飛騨と真野と一緒に食堂に出かけてから「語り手」である<僕>が「註釈」を付け加える。

 

 

 それから最初の書き出しに返るのだ。さて、われながら不手際である。だいいち僕は、このような時間のからくりを好かない。好かないけれど試みた。ここを過ぎて悲しみの市。僕は、このふだん口馴れた地獄の門の詠嘆を、栄えある書きだしの一行にまつりあげたかったからである。ほかに理由はない。もしこの一行のために、僕の小説が失敗してしまったとして、僕は心細くそれを抹消する気はない。あの一行を消すことは、僕のきょうまでの生活を消すことだ。

 

 

 このように安藤宏が言うところの「楽屋話」[10]が語られるわけではあるが、「語り手」(=「作者」)である<僕>の指示によって我々読者はこの作品の一行目「ここを過ぎて悲しみの市」まで反復されることになる。ちなみに、この言葉(「ここを過ぎて悲しみの市」)はダンテ『神曲』からの引用であり、実は作品の一行目から我々は「引用」という反復の運動に巻き込まれているのではないかと思うのだ。

 さて、冒頭の「ここを過ぎて悲しみの市」という言葉まで反復されることで我々は、「ここを過ぎて悲しみの市」の次の行から始められる僕(大庭葉蔵)の独白が、飛騨や小菅に向けての言葉であったと理解することが出来る。そもそも、一見するとこの冒頭の大庭葉蔵の独白は、「語り手」(=「作者」)である<僕>の語りとほとんど見分けがつかない。もちろん、そのすぐ後に、「僕はこの数行を読み返」すという反復によって「友はみな……」から始められる語りと、「夢より醒め……」から始められる語りとの間に差異を作りだす。つまり、この「夢より醒め……」という現実と、「友はみな……」から始まる作品内作品としての「現実」に分裂する。我々は、この分裂化する「現実」の諸相をメタフィクションとして呼ぶのだろう。そして、現実と「現実」が分裂してゆくのを、自己言及として何度もその差異を再-認識してゆくプロセスを反復させることになる。

 前にも述べた通りに、この作品において、「語り手」である<僕>がその時々に「小説」に「註釈」を加えてゆくのだが、主に「自己卑下」によってそれは「反復」されることになる。例えば、「パノラマ式の数駒を展開させるか」(148項)からの、「小説」の展開、そしてその失敗の自認(「僕は三流小説家ではないだろうか」)という展開からも、松本が言うように、「<企図の開示(註釈)→実作呈示(”小説”)→失敗の自認(註釈)>」[11]というプロセスを反復させることで作品が進行することが見て取れると思う。松本が言うようにこの否定の運動は「小説の書けない小説家」として「読者」に印象づけようとする操作であることも確かにそうではあるが、むしろ「心中未遂事件」という「語りえないもの」に位置づけられた「それ」(=現実)を語ろうとするが、「それ」に近づこうとすればするほど、「それ」(=現実)からズレ(=差異)を産み出してゆき、「現実」として分裂して行ってしまう。その分裂してゆく「現実」がフィードバックされることによって、その差異を埋めるために<僕>に饒舌的に「註釈」を語らせることになる。

 語りという作品の構造の面から見れば、そのような反復的な運動によって、作品が構成しているとすれば、では、内容の面における反復はどうなっているのだろうか。例えば、何度も反復的に立ち戻ってゆく大庭葉蔵の「心中未遂事件」の理由についての会話や、反復的に交わらせる青年たちの「笑い」、あるいは最後の場面にて反復される葉蔵と真野によって「心中未遂事件」の場面などであろう。このように、作品の内容の面でも、反復的な運動によって作品を構成しているように思われる。しかし、前にも述べた通りにその反復は同一的なものに回帰するというよりは、反復されるたびに差異を産み出してゆくことになるだろう。

 「心中未遂事件」の理由についての会話は、最初は、「思想、きみマルクシズムだよ」としながらも、再びその話題が反復したときには、「それもあるだろうが、それだけじゃないよ。つまり惚れていたのさ。いやな女と死ぬ筈がない」(156項)として、葉蔵自身の最後の反復によって、「心中未遂事件」の理由が女を好きだったかもしれないことや、左翼運動の挫折に言及しながらも、「もう彼の言葉は信じてはいけない」「ああ、言えばいうほどおのれが嘘つきで不正直な気がして来るこの大きな不幸!」という、割って入る<僕>の「註釈」によって、その理由すらも本当の理由ではないことが暴露される。このように「心中未遂事件」という現実は、「作者」としての<僕>がどんなに言葉を費やしてもその現実に到達することはできずに、その差異を意識せずにはいられない「現実」として分裂してゆくしかないのだ。

 そもそも、葉蔵が画家であることもこのような反復と差異の問題にかかわってくる。画家は、絵を描くとによって、対象をキャンパスの上で表象 re(再)-presentation(現前化)させることで可能にする。しかし、この表象representationという再現前化の運動は必然的に差異を巻き込むことになる。

 

 

 病室は雪の反射であかるかった。小菅はソフアに寢ころんで、雜誌を読んでいた。ときどき葉藏の画を、首すじのばして覗いた。(…)葉藏ほどの男が、汗みどろになって作り出すのであるから、きっとただならぬものにちがいない。ただ軽くそう思っている。その点、やはり葉藏を信頼しているのだ。けれども、ときどきは失望する。いま、小菅が葉藏のスケツチを盜み見しながらも、がっかりしている。木炭紙に畫かれてあるものは、ただ海と島の景色である。それも、ふつうの海と島である。

 

 

 「海と島」が描かれているが、しかし、それは小菅をがっかりさせるような「ふつうの海と島」なのである。なるほど、これは、この作品に満ちている「作為性」や「虚構性」を表しているかもしれない。しかし、それよりも、対象を「木炭紙」の上で描くに当たって、その「対象」に接近しようとすると「画いているうちに、きざな気がして」きてその作品を破棄してしまうように、この「きざな気がして」という意識、現実と「現実」(作品)との距離を認識したときにその差異、その距離の隔たりを「きざ」という言葉として吐露されたのではないか。

 では、この作品で「きざ」という言葉が否定的なものとして存在しているのだろうか。いや、そうではない。例えば、「パノラマ式の数齣」の葉蔵の「すこし気取ったポオズ」や「ポンチ画」、そもそもこの小説が「ポンチ」であるという<僕>の「註釈」、「このようなくだらない小説」という言葉、「市場の芸術家」という<僕>自身による自己規定など。そのように、自己を卑下しながらも、それが紛い物/偽物であると認識しながらも、積極的に、そのような紛い物/偽物にコミットしてゆこうとする。もしかしたら、その戦略が、「道化の華」の別名なのではないか。そして、三度反復される「美しい感情を以て、人は、悪い文学を作る」という言葉によって、この作品がすべての紛い物/偽物(「現実」)に「承認を与えよう」とするのである。

 最後の「断崖」という「心中未遂事件」を反復させるような状況において、「心中未遂事件」の相手である園子という人物を反復する相手としての真野が配置される。しかし、前に述べた通り、その反復は同一のものに再帰するのではなくて、差異を持って「現実」を生み出す。この「心中未遂事件」という物語の中心として駆動する「語りえぬもの」を反復することによって、現実と「現実」という境界線そのものを破棄して、「それだけのことである」という全ての差異の肯定として「復讐」は達成されるのである。

 

[1] 中村三春,1994,「『道化の華』 のメタフィクション構造」『フィクションの機構』,p.215,ひつじ書房

[2] 中村,同上,pp.218-219

[3] 中村,同上,p.223

[4] 中村,同上,p.224

[5] 中村,同上,p.224

[6] 松本和也,2009,「黙約と真実―『道化の華』」『昭和十年前後の太宰治〈青年〉・メディア・テクスト』,p.199,ひつじ書房

[7] 松本,同上,p.213

[8] 相馬正一,1991,『若き日の太宰治』,津軽書房,p.128

[9] 中村,同上,p.212

[10] 安藤宏,2009,「周回遅れのトップランナー―――文芸復興期」『展望 太宰治』,ぎょうせい,p.43

[11] 松本,同上,p.205