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太宰治『葉』試論―――切断/接続/転回

 

 (力尽きた。これも失敗)

 

 

0.はじめに

 

 

 太宰治の「葉」は処女作品集『晩年』の中でもあるいは太宰治の全作品においても、もっとも前衛的な作品に位置づけられるだろう。前衛的な形式による「語りにくさ」が、ある種の魅力を作品に与えているように思える。しかし、この「語りにくさ」は果たして作品の形式だけによるものだろうかという疑問も存在する。「内容と形式の一致」という前提から作品を見てみると、この断章形式が選ばれたのも相応の理由が存在するだろう。あるフラグメント(断章)を太宰の実生活を参照することによって、ひとつ/ひとつとして検討してゆくことはそれなりに価値があることだろう。だが、果たしてこのひとつ/ひとつの読み方は果たして適切かどうか疑問が残る。

 そこで「葉」がどのように論じられてきたか見てみることにしよう。「葉」論は大きく分けて二つに分けることが出来る。まずひとつは(そしてこれが主流なのだが)フラグメントをひとつ/ひとつ「註釈」として論じてゆく方法。代表的なものに鳥居邦朗の「習作のもつ意味」や渡部芳紀の「テクスト評釈『葉』」などがある。そして、もうひとつには、「葉」をひとつひとつの「小説」(=連続)として論じてゆく方法。この方法は、夏目武子、山口章二などの「太宰治『葉』 の虚構と文体」のレポート、シンポジウム、ゼミナールによって試みられた。あるいは、中村三春の「『葉』評釈」は「言葉の選択と配置を凝視」[1]することによって内在的な作品分析をしようとする。私はこの拙論においては、前者の方法より後者の方法に近づけて論じてみたい。何故なら「葉」が作品として提出された以上、我々は断片をバラバラのものとして読むのではなく、やはり連続したものとして読まなければならないのではないか。もちろん、我々は、普通にこの作品を接する段階においては、そのようなひとつひとつの連続したものとして意識されるが、しかし、この作品を読解する段階において、ひとつ/ひとつと切れ目を意識しながら読まざるをえない。この作品を分析する困難さというのは、我々が魅力を覚えるような作品の前衛性(=断章形式)が、作品の分析過程において削がれてしまうことからではないかと思う。そこで、フラグメント同士が接続する手前のその切断を注視することによって、逆説的に切断の後に訪れることになる接続を、そして作品が転回(展開)してゆく運動を記述しようと思う。

 

 

1.作品の成立

 

 

 太宰治の「葉」は、昭和九年四月十一日発行の季刊文芸誌『鷭』第一輯春号の「創作」巻頭欄に発表された。井伏鱒二の「解説」の記述から「葉」の最初の稿が昭和八年一月ごろ書かれたと推測することが出来る。[2]しかし、それより前に久保喬の「太宰治の青春碑」から「葉」はもともと「白痴の森」という題名であり、内容の方も別個のものであったが、そこから数回書き直されて、題名を「葉」と変更している。[3]決定稿は、檀一雄「小説太宰治」によれば、昭和八年十一月十七日以降に書き直され、「暮れ」までに脱稿することになる。[4]

 「葉」が発表された『鷭』という同人誌について、発表当時をリアルタイムに経験していた熊谷孝(1990)の興味深い発言がある。同人誌の名前になっている鷭という鳥が湿地帯に住んでいるように「葉」が発表された当時は「人生二十五年」と言われるような大学を卒業したら徴兵されてしまう時代であり、若者であった熊谷にとって「陰惨な、一歩引いてもぬかるみに引っ張られていくような、湿地帯」[5]であったと述べる。

 

 

その“湿地帯“を、息をふうふうして生きていた若い僕たちにとって、この『鷭』という同人雑誌の題がたまらなく魅力だったんですね。せせら笑うんだ。へこへこするんじゃないんだ。できるだけ、無駄かもしれないけど反抗し続けていくんだ。あの鷭のように、せせら笑いながら生きていくんだ。――そういう思いが込められている印象なんです。[6]

 

 

 太宰治が「ロマネスク」を発表するときに、『青い花』という同人誌に発表することに拘ったように、もしかしたら「葉」も『鷭』という同人誌に発表することに何かしら意味があったのかもしれない。当時の若者たちの閉塞的な状況に「鷭」という名前は寄り添っており、その同人誌の巻頭を飾ることになる「葉」が当時の若者たちにとって「救い」[7]として経験されたからだ。

 『晩年』の最初に置かれることになる「葉」は、「列車」「魚服記」「思ひ出」に続いて四番目に発表されたものだが、執筆順に言えば『晩年』収録一五編の作品のうち十番目である。[8]『晩年』という作品集は発表した時系列順に作品を配置しているのではなくて、何らかの意図を持って作品を配置しているのは明白ではあるが、ではいったいどのような意図を持って「葉」を冒頭に置いたのだろうか。鳥居邦朗(1960)が「『晩年』においてこの作の次におかれている『思ひ出』が文字通り彼の実生活の思い出であるのに対して、この『葉』はまた実生活ならぬ芸術の思い出として『思ひ出』と対をなすもの」[9]と述べるように太宰治という作家が誕生するまでの思い出、あるいはマニフェストとして冒頭に置かれたのではないかというのがひとつの回答としてあるだろう。もちろん、それ以外の理由も考えることが出来るがこの拙論においても「思ひ出」と対をなすものとして、太宰治の作家誕生としての「葉」と論じようと思うが、それは決して「葉」のフラグメントの配列が「およそ、時間の流れの上に構成されている」[10]という単純な理由からではない。問題は、何故、「葉」という作品がこれまでの「習作」をフラグメント化(切断)させて、配列(接続)させることによって作家太宰治の誕生を宣言することになるのか、これから考えていきたい。

 

 

2.作品の分析

 

 

 我々が、『葉』という作品を読み始めた時に、まず目に飛び込むのは堀口大學訳の『ヴエルレエヌ』または『ヴエルレエヌ研究』所収の、ポール・ヴェルレーヌ『叡智』が引用されたエピグラフである。エピグラフも作品を構成する要素の一つであると考えると、この作品が引用から始まるのは示唆的であるかもしれない。何故なら、『葉』という作品は「引用」という切断をコラージュという接続の方法を用いることによって構成されているからだ。曽根博義(1983)の言うように「引用による作品構想という独創性こそ、太宰治の初期作品、とくに新しい手法で書かれた実験的作品を、細部から全体にわたって支配していた最大の方法的特徴」[11] であるだろう。もちろん、後に詳しく述べるが、他作品からの引用・パロディだけではなく、自己の作品をそれこそ「ずたずたに切りきざんで」原稿用紙の空白の中に埋めてゆくことで作品を成立させる。しかし、ここでは、まずこの引用されたヴェルレーヌの詩を検討して行こうと思う。「撰ばれてあることの/恍惚と不安と/二つわれにあり」という三行の引用により、この「撰ばれてあること」のナルシスティックな「恍惚と不安」であるという解釈は正当かもしれないが、問題にしたいのはこの「不安」である。この「不安」を鳥居邦朗は「大地主の六男という生れや厳しい祖父の薫陶から生じた誇りを高く傷つき易い彼の性格がうかがわれる」[12]という伝記的事実の結びつけることによって作品を理解しようとするが、山田晃(1976)が原文(‘J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi.‘)からこの「不安」がナルシスティックな傷つきやすさとしての「不安」ではないことを指摘する。

 

 

 ここに、恍惚と不安とは、それぞれ‘extase’と‘terreur’の訳であることが知られるが、’extase’はともかく、’terreur’を「不安」と記したところに問題がある。’terreur’は、激しい恐怖を意味する語だからである。ちなみに、河上徹太郎訳では「畏敬」と正当に訳されているように、それは、当てどのない「不安」ではなく、強いひたむきな宗教的感情である。このことは、たとえ「不安」という訳語が与えられていたにしても、ある程度は詩全体から感得さえるべき事柄であり、まして原文に嘱目すれば直ちに理解さるべき事柄である。[13]

 

 

 このように「強いひたむきな宗教的感情」としての「畏敬」が「不安」であるとすれば、「撰ぶこと」の主語はやはり「神」の存在であろう。しかし、何かが選択されるということは、同時に何かは選択されないことである。つまり、ここで私が「神」に「撰ばれた」ときに同時に「撰ばれなかった」私の可能性が出現することになる。それ故に「撰ばれなかった」という可能性しての「不安」が幽霊のように絶えずつきまとうことになる。その可能性を考えるからこそ一層「強いひたむきな宗教的感情」として経験されるのではないか。結論から先に言えばこの作品で問題になるのは「撰ばれた」私だけではなくて「選ばれなかった」私の可能性なのではないだろうか。

 「葉」のアヴァンギャルドなフラグメント形式によって、そのような可能世界が出現するのは何故なのか。「習作」の断片化と配列により作品を形成するその運動がダダイストたちの試みた「帽子のなかの言葉」に似ている部分がある。「帽子の中の言葉」とは、新聞の記事を切り取り、それをさらに語単位まで切り抜いて、袋の中に入れてシャッフルする。それから、袋から切り抜きをひとつずつ取り出し、それを順番に書き写してゆくことによって「作品」を作り出してゆく方法である。もちろん、太宰治が「帽子のなかの言葉」のようなラディカルな方法を取っているとは決して言わないが、アットランダムな配列により「偶然」を呼び込むことによって作品を成立させようとするのは無関係だとは思えない。

 では、太宰治と「ダダ」はどのような関係があるのだろうか。太宰治と「ダダ」について相場正一の興味深い記述がある。そもそも太宰という筆名の由来が「ダダ」から取られており、「ダダ」が持っている「混乱と頽廃、抵抗と破壊」[14]に興味を持っていたからではないかと相馬正一は推測している。そして相馬がそう推測するのは程度の妥当性があるだろう。何故なら、三兄圭治(そして、この人物は太宰に大きな影響を与え、渡部芳紀がフラグメント⑤の兄のモデルではないかと考えられる人物である[15])が新感覚派の熱烈な同伴者であり、前衛的な同人誌の表紙を手掛けていたり、横光利一の作品にも特別な関心を示していた。その兄が帰省のたびごとに各種の同人誌を持ち帰り、東京における新文学の傾向を兄弟や友人に熱っぽく語り聞かせていたようだ。とくにダダイズムやシュール・レアリスムの詩誌や詩集を示して、「これから文学をやろうとする者は、こんな詩が解らないようでは駄目だ」と力説して、自身も前衛的な絵を描いていたという。[16]もちろん、これは推測の域を出ないが、この三兄の圭治から太宰治ダダイズムの存在を知ることが出来る環境にいたことは事実であろう。

 

 

 つまり、太宰はかねてより新時代の文学の担い手――文学における二十世紀旗手たらんとして、そういう自分にふさわしい筆名をひそかに考えていたものと思われる。その際、あれこれと思案の果に、当時文学青年たちの間にプロレタリア文学とは違った意味で革新的な魅力をもって浸透していたダダイズムに思い到ってであろうことも、あながちあり得ないことではない。なぜなら、太宰が早くから時代の先端を行く新文学として興味を示してきたプロレタリア文学にしても新感覚派にしても、その出発点においてはダダやシュールなどの前衛芸術(アヴァンギャルド)の影響が強く、そこから文学における伝統軽視、革命的文学の積極的な肯定、ダイナミックな行動的芸術性、自我解体によるニヒリズムなどが、強烈に志向されていたからである。[17]

 

 

  なるほど、確かにプロレタリア文学の挫折(それは「葉」のフラグメントの中にも残存している。例えば、フラグメント⑬㉒を参照)による遠近法の崩壊の後に、プロレタリア文学に代わるものとして、「ダダ」の方法を採用したのも頷ける。しかし、太宰治自身が直接的に「ダダ」について語っているのは、辻潤の名前を借りての間接的な言及に留まり、そして「虚構の春」という「作品」においてである。

 

 

偉大なる霊魂はただ偉大なる霊魂によって発見せられるのみであると、辻潤が言っています(…)太宰イズムが、恐ろしい勢で私たちのグルウプにしみ込みました。殆ど喜死しました。[18]

 

 

 もちろん、この部分から相馬が言うような辻潤の名前を出した後の「自画自賛」[19]であると、簡単に片づけることはできない。そもそも「虚構の春」という作品が、ある意味で「葉」の方法論を極限にまで高めた作品である。つまり、「葉」が自作品を切断してコラージュしていたのに対して、「虚構の春」においては自分に宛てられた手紙もコラージュの対象としていることからもよりいっそうラディカルな試みが成されているだろう。そして、太宰治に宛てられた手紙という体裁を取っている以上、この箇所をパーソナルな部分として還元することはあまり適当ではないように思える。というよりも、むしろ、辻潤の名前からその向こうにある「ダダ」との関係を考えるよりも、「太宰イズム」というナンセンスな言葉遊びこそが「ダダ」に他ならない。

 「ダダ」と呼ばれる運動は、第一次世界大戦時に、チューリッヒとニューヨークという中立国の都市において産声を上げた。[20]この「ダダ」という言葉はどのように生まれたのか諸説ある。例えば、一九一六年二月八日、チューリッヒのカフェ「テラス」で、トリスタン・ツァラがプチ・ラルース辞典にペーパーナイフででたらめにさしこんで発見された語からつくられた説[21]や、ハンス・リヒターが言う様なスラヴ語の「ダー、ダー」という肯定[22]などの説がある。ここで問題にしたいのは、「ダダ」という語の由来ではなくて、「ダダ」という言葉がそもそもどのように生まれたのか不明であるばかりではなく、その「無意味な語」(シニフィアン・ゼロ)[23]であることは、そのまま「ダダ」の活動そのものを表すことだ。つまり、「ダダ」の活動の目的は、無意味を無意味として提出するのではなくて、無意味が無意味であることによって意味を持ち始めてしまうそのことを問題にするのだ。

 しかし、太宰が仮に「無秩序」としての「ダダ」から由来しているのであれば、治は、そのものまさに「秩序」を表しているのではないか。もちろん、これは言葉遊びとして片づけられる話ではある。しかし、太宰治が、「無秩序」と「秩序」のジンテーゼ、無軌道に見える作品の動きが実は周到に用意されているそのほかの作品と同様に「葉」もその例には漏れないのではないか。

 「葉」という作品が、36のフラグメントによって構成されており、ほぼ時系列順に配置されていると鳥居、渡部両名は述べている。フラグメント④⑤⑥が「彼等と其のいとしき母」(『細胞文芸』昭3・8)、フラグメント⑨が「哀蚊」(『弘高新聞』昭4・5・13)、フラグメント⑬が「学生群」(『座標』昭5・9)、フラグメント㉘が「ねこ」(昭7執筆)などである。[24]「葉」論において、この36のフラグメントによって構成されることからこの作品が連句の歌仙形式によって成立しているのではないかという通説が広く知られている。歌仙は正風俳諧で主流をなしており、初折(一の句)表六句、裏十二句、名残り(二の折)、表十二句、裏六句から成る。[25]笠原伸夫(1986)は「表に六句、裏に十二句、二の折、表十二句、裏六句という体勢は守られている。さらに発句、脇、第三、それに三十六句目の挙句、この四つの部分によって起承転結の役をはたすという大枠が厳守されている」[26]と述べる。しかし、あらかじめ36のフラグメントから歌仙形式というフレームを導き出すのは、作品本来が持っているダイナミズムを固定化することにならないだろうか。そもそも36のフラグメントと形式という前提に疑問が残る。何故なら、最後のフラグメント3つは、最初の「生活。」と「よい仕事をしたあとで…」という詩の一部として「どうにか、なる」が含まれる場合、フラグメントは35になる。あるいは、「生活。」を「よい仕事をしたあとで…」の「題名」であるとすれば、フラグメントは34になる。このように、フラグメントが36であるというのは可能性の次元に留まるのだ。あるいは、中村三春が言うように「その引用と断章集積形式の複合した様式は、歌仙であれ何であれ、読解の定点を固定するフレームそのものを揺るがし、複数化させるものと見るべき」[27]であれば、歌仙形式を殊更意識する必要もないだろう。

 フラグメント①の「死のうと思っていた」という言葉から、すぐに「生きようと思った」という言葉によって否定される。この小説が「小説の小説」「メタ小説」として曽根博義は、「引用と引用とのあいだの『間』を自意識が埋めようとする」[28]運動から「道化の華」との関連を指摘するのだが、それだけでなく、このような「肯定」と「否定」の運動によって、判断停止を生み出してゆくのは「道化の華」に通じるだろう。フラグメント②は、ノラという女性が出てくるが、このノラという女性はイプセンの戯曲「人形の家」の主人公であり、この作品はこのように文学作品の登場人物あるいは実在の人物に対する言及(「引用」)することによって作品世界に奥行きを与える。例えば、フラグメント⑮のレニン、フラグメント⑳のメフィストフェレスゲーテの「ファウスト」に登場する悪魔)、フラグメント㉚のロシアの作家チエホフ、ドストエーフスキイ、とネルリというドストエーフスキの『虐げられし人々』に登場する孤児、フラグメント㉝のギリシアの詩人サフォと、伝説上サフォが失恋した青年であるフアオンである。このフラグメント②においても、フラグメント①のように、「肯定」と「否定」の運動によって判断は停止されることになる。フラグメント③は、フラグメント②の「帰ろうかしら」という言葉を引き受けるかのように、「帰ったら」という言葉によって接続される。しかし、フラグメント②は三人称「ノラ」が主体であり、フラグメント③においては一人称「私」が主体となっており、そこには明確な切断線が引かれている。しかし、私たちはその切断を意識ながらも接続して読んでしまう。

 フラグメント④⑤⑥は、同じ「彼等と其のいとしき母」でありながらも、断片化させて再-配置させることによって、そこには「切断」がもたらされている。フラグメント④の「何をするのも物憂かった」のに「汲くみ取り便所は如何いかに改善すべきか?」という本を買って本気で研究するなどナンセンスのおかしみに溢れている。これこそまさにダダ的な「笑い」であろう。フラグメント⑤は「そんなら」という言葉から始めるが、この言葉が置かれることによってフラグメント④を受ける形になる(=接続される)しかし、実際にはフラグメント④とフラグメント⑤は繋がっている訳ではない。ここで、竜という人物が登場することになるが、夏目武子、山口章二などの「太宰治『葉』 の虚構と文体」のレポート、シンポジウム、ゼミナールにおいて、この竜を「葉」の主人公とする見方もできる。つまり、この作品が「断片の寄せ集めてはなくて、龍のメンタリティー、<怒涛の葉っぱ>の世代の思い出につらぬかれている一貫性をもった小説」[29]として考える、と。しかし、それも歌仙形式と同じようにあるフレームを設定することになりはしないか。フラグメント⑥の、「たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」という兄の言葉はこの「葉」という作品においては、逆説的に理解できるのではないか。つまり、百項の雰囲気(可能性)を理解したいばかりに一行の真実を言うのだ。

 フラグメント⑦の「白状し給え。え? 誰の真似なの?」という言葉は、フラグメント④⑤⑥に対する「芥川色」[30]あるいは、この「葉」という作品が「芥川晩年の多彩な方法的実験を受け継いだもの」[31]に対する自嘲であろうか。いや、違う。むしろ、これは次のフラグメント⑧の「水到たりて渠成る」あるいはフラグメント㉘の「役者になりたい」という言葉からも、誰かを役者のように上手く真似することで誰にでもなることが出来る。

 フラグメント⑨は、「哀蚊」という作品をほぼ全文掲載されていることになる。「彼は十九歳の冬、『哀蚊』という短篇を書いた。」という言葉から始まるこのフラグメントは、「葉」のフラグメントが作品内作品であるならば、「おかしな幽霊…」からは作品内作品内作品という三重の構造になっているだろう。ある老女の回想を独白体で語っていく。この「私」は、フラグメント②の「ノラ」でもないし、フラグメント③の「私」でもなく、フラグメント④の「竜」でもない。私たちは、「葉」を読み進めてゆく過程で、「私」になり、「ノラ」になり、「竜」になり、「僕」になり、「俺」になり……このようにさまざまな人物に文字通りなるのだ。これは一体どういうことなのだろうか。話を戻すと、この物語が「家の権現とでもいうべき生き方をした思われる祖母」[32]という単純なものだろうか。それは、「哀蚊」という作品がそのまま提出されたときにそのような解釈が可能なのであり、他のフラグメントと並列されて置かれたときに別の意味を持つことになるのではないか。中村三春が「『幽霊』とは小説=フィクションの謂」[33]であると言ったのは正しい。そもそも、幽霊とは存在しないはずのものが存在する状態であり、それはフラグメント①からの、「生きている」ことと「死んでいる」ことを宙吊りにさせることに他ならない。もっと言えばそのように判断が中断され、可能性が残存する空間を開いてゆくことなのではないか、そしてそれが小説に求められる。

 フラグメント⑩の「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である」という言葉は「逆行」の第二章「盗賊」にも置かれている。[34]この「市民」という言葉は、フラグメント⑨において考えたように、この「葉」という作品が「撰ばれなかった」人(=市民)(になって/のために)書かれたのではないか。

 フラグメント⑪の「花きちがいの大工」というこれもナンセンスの一種であろう。「花」という美や芸術を象徴する言葉と、「大工」という実用的な役割を負わされる言葉によって、フラグメント⑩の「芸術の美…」に呼応するかのように「花きちがいの大工」が選ばれる。しかし、それも、「邪魔だ」という言葉で否定される。これも、「肯定」と「否定」の運動の反復である。フラグメント⑫の「まち子」の「あの花の名…」と「僕」の「こんな樹の名…」という対比によって、「まち子」と「僕」が、フラグメント⑬の小早川と青井のように「二面を二人に代弁させる」[35]ことなのではないか。フラグメント⑬は、フラグメント①などの反復であり、ここでも「生」と「死」の対立は停止して、「肯定」と「否定」の間で宙吊りになる。

 フラグメント⑭の「すべての解答」が算術の教科書に書かれていることに対して「無礼だな」と「少年」は思うが、フラグメント⑬を受けての「プロレタリアートの稿理性一点張りの価値観」[36]に反対したものであるというのも、次のフラグメント⑮を受ければ妥当性がある。が、それよりも、「葉」という全体を見渡した時に、そのような解釈のフレームを絶えず揺り動かすような「すべての解答」が不可能なその可能性に賭けているような印象を受ける。フラグメント⑯は、フラグメント①などの「肯定」と「否定」の運動の反復であるが、中村三春が言うように「肯定と否定の戯れの中に、文芸的な美の観念が示唆される」[37]だろう。フラグメント⑰は、フラグメント⑱の記述から太宰治の伝記的事実と重ね合わせることによって「心中事件の取り調べ」と解釈することもできるだろう。[38]あるいは、そのように読んでしまう私たちに対する「皮肉」のようにも聞こえる。フラグメントは⑱は、フラグメント⑰が「心中事件の取り調べ」であるのならば、フラグメント⑱は心中の場面であろうか。どちらにしても、「女」が「たかく名を呼んだ」とき、それは「俺の名ではない」と語る。「葉」という小説が「俺」(=自分)とは何かということを探す小説であるならば、「俺」とは何ものでもない(ゆえに何ものでもありえる)ということではないか。フラグメント⑲は、渡部芳紀が言うように「<市民への奉仕の美>を芸術の側面としながら、一方では、俗な市民の<誇>をかすめとるという」[39]ことであるのならば、この「葉」という作品が不意打ちを食らわせるものになるだろう。フラグメント⑳の「一生を、書き損じの原稿を破ることに使った」という言葉も、決して完結することのない、解釈が開かれていくこの「葉」という作品に対する自己言及なのかもしれない。フラグメント㉑は、「ロマネスクな芸術至上主義、美への惑溺」[40]であると考えられる。フラグメント㉒は、「巡査ひとりひとりの家について考えた」という言葉はフラグメント⑨⑩のように「撰ばれなかった人」に対する視線を思わせる。フラグメント㉓は、「母の言葉は、あたっていたのに」という言葉から、「巡査ひとりひとりの家について考えた」と同じような優しさを感じることが出来る。フラグメント㉔は、フラグメント①のように「死のうと思う」彼が出てくるが、この「彼」とは誰なのだろうか。フラグメント㉕はフラグメント⑮のような俳句の形式を取っている。前のフラグメント㉔のように、「妻」を主題としているが、「病む」や「とどこおる雲」や「鬼すすき」が不吉な影を投げかけている。フラグメント㉖は、フラグメント㉕を受けるかのように不吉な感じが続いている。「(ふるさとの言葉で)」と書かれているが、「様式化された人工言語[41]であるがゆえに、この言葉を真面目に取ってはいけないのかどうか。フラグメント㉗は、この“Nevermore”という言葉は他のアフォリズムのような短いフラグメントと同じような正確な判断はできない。しかし、「二度と(再び)…しない」のであれば、この「葉」において、フラグメントが反復されるたびに、「私」になり、「ノラ」になり…など同じところに回帰しないのではないか。フラグメント㉘は、「わが恋は容れられたり」という「肯定」から「小指の腹を骨までかりりと噛かみ裂いた」という「否定」のように他のフラグメントと同じような運動が反復される。フラグメント㉚、「日本橋」を舞台にしているが、この「橋」という場所が、「幽霊」と同じように小説=フィクションの隠喩ではないだろうか。それ故に、この「橋」(あるいは小説)には様々な人が登場して、通り抜けてゆく。「咲クヨウニ。咲クヨウニ」という少女の願いは、そのまま「葉」全体の祈りになってゆくだろう。フラグメント㉛は、「肯定」と「否定」の反復であるが、むしろ太宰治の方法論が書かれているのかもしれない。フラグメント⑰のように、太宰治の小説の奥に太宰治自身を見てしまう我々に対する前もっての当てつけなのかもしれない。フラグメント㉜は、フラグメント㉚に共鳴するかのような言葉だが、「春」という「肯定」の言葉ではあるが、それがまだ予感としか感じられない段階であるだろう。フラグメント㉝は、「どうせ死ぬのだ」というフラグメント①の残響を読む取ることが出来る。ここでも、「かぐわしき才色」の「肯定」と「色が黒く歯が出ていた」という「否定」の運動の反復であるが、「リュウカディアの岬」から「迷信」を信じて身を投げるサフォの姿に重ね合わせるように、「葉」という作品において最後の賭けが行われる。フラグメントの最後の三つは、前にも述べた通りに34から36の間でゆらいでいる。最後から三つ目のフラグメントは、前のフラグメント㉝の「リュウカディアの岬」から身を躍らせた先が、「生活」なのであるのだろう。フラグメント⑩の「市民」あるいは、フラグメント㉚の「橋」を通り抜けてゆく人(になって/のために)小説を書かれなくてはならないのだろう。最後から二つ目のフラグメントの、お茶のあぶくに「きれいな私の顔が/いくつもいくつも/うつっているのさ」という言葉からも、この「葉」という作品が自身を複数化してゆく運動なのではないか。

 そして、最後のフラグメントにおいて、最後の「切断」そして「接続」が行われるだろう。「どうにかなる」ではなくて、「どうにか、なる」と句読点を入れられることによって、「どうにかなる」とはまた別の読み方が要請される。むしろ、この句読点によって、「どうにかなる」という「肯定」から、それこそ「不安」を感じて躊躇するかのような印象を受ける。しかし、その判断停止が解釈を呼び込んで、可能性の空間を開くことになるのだ。それはフラグメント㉝の「リュウカディアの岬」から身を躍らせること、同じような賭けなのではないか。

 

[1]中村三春,2006,「『葉』評釈(1)」『太宰治研究14』,和泉書院,p.215

[2]山内祥史,1987,「太宰治『葉』解題稿」『日本文芸研究』,pp.92-93

[3]山内,同上,p.93

[4]山内,同上,p.94

[5]福田隆義 井筒満 樋口正規 夏目武子 樋 口正規,1990,「ゼミナール太宰治『葉』の虚構と文体」『文学と教育(文学教育研究者集 団)』,p.77

[6]同上,p.78

[7]同上

[8]大久保典夫,1996,「『葉』論ノオト――芥川龍之介との関連を中心に――」『太宰治研究1』 ,和泉書院 ,p.1

[9]鳥居邦朗,1960,「習作のもつ意味」『太宰治(日本文学研究資料叢書)』,有精堂出版,p.105

[10]渡部芳紀 ,1984,「テクスト評釈『葉』」『太宰治 心の王者』 ,洋々社,p.50

[11]曽根博義,1983,「『虚構の彷徨』論――『道化の華』の方法を中心に――」『一冊の講座 太宰治』,有精堂,p.65

[12]鳥居,同上,p.105

[13]山田晃,1976,「恍惚と不安と」『太宰治論集 作家論篇第6巻』,ゆまに書房,p.301

[14]相馬正一,1995,『評伝 太宰治〈上巻〉』,津軽書房,p.331

[15]渡部,同上,p.56

[16]相馬,同上,p.332

[17]相馬,同上,p.332-333

[18]太宰治,2003,「虚構の春」『二十世紀旗手』,新潮社,p.119-120

[19]相馬,同上,p.333

[20]河本真理,2011,『葛藤する形態 第一次世界大戦と美術』,人文書院,pp.115-116

[21]塚原史,1997,『アヴァンギャルドの時代―1910年‐30年代』,未来社,p.18

[22]ハンス・リヒター,1981,『ダダ―芸術と反芸術』,美術出版社,p.54

[23]塚原,同上,p.19

[24]渡部,同上,p.50

[25]中村,同上,p.217

[26]笠原伸夫,1986,「『葉』の構成」 『太宰治』,p.52

[27]中村,同上,p.217

[28]曽根,同上,p.73

[29]夏目武子 山口章浩,1988,「討論<二人の異邦人 >(『葉』)の印象の追跡」 『文学と教 育(文学教育研究者集団)』,p.37

[30]渡部,同上,p.58

[31]大久保,同上,p.7

[32]鳥居,同上,p.106

[33]中村三春,2007,「『葉』評釈(2)」『太宰治研究15』,和泉書院,p.179

[34]中村,同上,p.179

[35]渡部,同上,pp.66-67

[36]同上,p.67

[37]中村三春,2008「『葉』評釈(3)」『太宰治研究15』,和泉書院、p.192

[38]鳥居,同上,p.109

[39]渡部,同上p.71

[40]笠原,同上,p.59

[41]中村,同上,p.199