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「確認される死の中で」―――石原吉郎と安川奈緒

 

 

 石原吉郎と佐古純一郎の対談(『キリストはだれのために十字架にかかったか』)において、石原はこのような発言をしている。

 

 

石原 ひとりひとりで死ぬ機会を失うことは、人間にとって最も不幸なことだと思いますね。ひとりで死んだということは、最終的な救いになるとは思います。戦争の恐ろしいところは、十把ひとからげに人を殺し、ひとりの死すらも奪ってしまうことです。大量虐殺(ジェノサイド)は、ぼくには理解できない思想だな。体で覚えないと、わからないかもしれない……。シベリアで集団生活を強いられていたとき、仲間が続々と死んでいくわけです。そういう死に方だけはしたくないと思っていました。何がテコになるかというと、人間の姓名ですね。石原吉郎という人間がここで死んだということを、だれかに確認して欲しかったですね。それだけが、たいせつです。[1]

 

 

 大量虐殺、そしてその向こうにある戦争の恐ろしさを、「十把ひとからげに人を殺し、ひとりの死すらも奪ってしまうこと」であるとして、自身のシベリア抑留の体験の中で続々と仲間が死んでゆく中で、「テコ」(=「救い」)としての姓名であるとした。つまり、「石原吉郎という人間がここで死んだ」ということを確認する為に姓名は何よりも要請される。しかし、大量虐殺、あるいは戦争において、そのようなひとり/ひとりの姓名をなかったかのように扱われる。これは、大量虐殺や、戦争に限った話では決してない。例えば、大災害が起こった時に、テレビでも新聞でもネットでもなんでもよいがメディアに接して眼に映るのは犠牲者の数字であり、それによって亡くなったひとり/ひとりの姓名ではない。なるほど、確かに、何故、自分と関わりのない他人の姓名などいちいち知らされなくてはいけないのか、そんな遠くの他人に構っているほど暇ではないのだ、情報は素早く簡潔に、そう、時間は有限なのだから……このような言葉が聞こえてくるだろうし、その意見に反論することは難しい。何故なら、そのような世界に望む望まないに関わらず生きていかざるを得ないのだし、ひとり/ひとりの姓名をまるで初めから存在しなかったかのように扱うのに慣れ過ぎてしまっている。しかし、それでも、「それだけが、たいせつ」であるという言葉には、姓名が失われてしまう状況に対する、あるいはそれに意識的、無意識的に加担する我々に対する批評として機能することになる。

 その対談から数十年後、安川奈緒阿部和重中原昌也の対談で「911同時多発テロ」のビルが倒壊する映像を見て「歴史を見た」と言い合っているさまに「いつも怒りをもって思い出してしまう」と書きながら続ける。

 

 

 何よりもまず、この事件の映像を見る者は、そのビル内でわけのわからない数の人間がわけのわからないまま死んでゆく時間の映像を見ているのであって、「歴史の瞬間(!)の映像」を見ているのではないと判断することを放棄しているのに対して、次に、何らかの「決定的瞬間」と判断されうる映像を、「歴史」と取り違えることに対して、呆れ果てずにはいられない。(…)複数の人間が、後の視線からは「同時」と見なされうるときに死ぬこと、そして、その複数の死が最終的に一つの土地の名、一つの日付のもとに統括されること、これこそがどう考えても破廉恥なのだということを忘れることはできない。人はいいかげんな非-場で、てんでバラバラに死ぬべきだ。[2] 

 

 

 安川奈緒が問題にしているのは、「わけのわからない数の人間」が「わけのわからないまま死んでゆく」映像に「歴史の瞬間」を見たと錯誤することもさることながら、そもそも「複数の死」を「一つの土地の名」、「一つの日付」のもとに統括されることに対する「破廉恥さ」に対してであろう。「人はいいかげんな非-場で、てんでバラバラに死ぬべきだ」という記述が「人と人とが同じ空間に属すというフィクションを維持することができるのは、そしてその空間に属さない者に向けて生存の弁解が出来るのは、会話だけだ。それ以外の時には、誰一人同じ空間には属していないのだ」[3]と書き得た詩人においては、ひとり/ひとりそれぞれの固有の空間にいて、それゆえに「てんでバラバラに死ぬ」のであるし、そうでなければならないと言っているのではないだろうか。しかし、同一の空間に存在するのであると錯覚することによって、それを「一つの土地の名」や「一つの日付」のもとで統括することを可能にする。ここで、ひとり/ひとりの空間を、ひとり/ひとりの姓名と言い換えてもいいかもしれない。そして、この場所において石原吉郎安川奈緒は交差するのではないだろうか。

 では、そのような「破廉恥」な状況に対して、詩を書くという行為はどのような意味を持つのだろうか。石原吉郎が日本に帰国した後に詩を書き始めた理由を、詩という形式が「『混乱を混乱のままで』受けとめることのできる、ほとんど唯一の表現形式であった」[4]としてこのように続ける。

 

 

 (…)その時期の私には、詩という表現形式へ追いつめられたものが、他者へ伝達されることに大きな不安があったわけです。つまりその時期の私にとって、詩を書くということは、先ほどお話しした、牢獄の壁に姓名、名前を書きのこすという行為とほとんど同じであったと思います。たまたまそれを読んだ別の日本人がいたにしても、その名前が担った運命の重さというものはというよりも伝わらないのが本当です。にも拘わらず人は、さいごに辛うじて残せるものとして、その名前を書きのこす。これが、伝達ということの、いわば原点であると私は思います。[5]

 

 

 ここで、牢獄の壁に姓名、名前を書き遺すことと詩を書くという行為がイコールで結ばれることになる。詩を書くという「混乱を混乱のまま」(=錯乱)表現する形式で、「全く伝わらないかもしれない」という絶望的な賭け(=「命がけの飛躍」)が行われることになる。そして、この賭けは徹底的な「錯乱」のうちに行われることになる。ここで、「泣きたいやつ」という詩を分析することでそれを見てみることにしよう。

 

 

おれより泣きたいやつが

おれのなかにいて

自分の足首を自分の手で

しっかりつかまえて

はなさないのだ

おれよりも泣きたいやつが

おれのなかにいて

涙をこぼすのは

いつもおれだ

おれよりも泣きたいやつが

泣きもしないのに

おれが泣いても

どうもなりもせぬ

おれより泣きたいやつを

ぶって泣かそうと

ごろごろたたみを

ころげてはみるが

おいおい泣きだすのは

きまっておれだ

日はとっぷりと

軒先で昏(く)れ

おれははみでて

ころげおちる

泣きながら縁先を

ころげてはおちる

 

泣いてくれえ

泣いてくれえ

 

 

 

 この詩の奇妙さはこの「おれ」が二重に分裂しているからだろう。まず、「自分の足首を自分の手で/しっかりつかまえて/はなさないのだ」という部分がこの詩のなかで最も奇妙な印象を受ける場面ではないだろうか。この「自分の足首」あるいは「自分の手」は、誰の足首であり、手なのだろうか。この「自分の足首」と「自分の手」の「自分」を「おれより泣きたいやつ」にするのか、前の「自分」が「おれ」で、後者の「自分」を「おれより泣きたいやつ」にすればよいのか。しかし、普通にその後の「しっかりつかまえて/はなさないのだ」という言葉に注目してみれば、この「自分」が二つに分裂してゆく方を取るべきなのかもしれない。そのように「おれ」と「おれより泣きたいやつ」が分裂しているが、「おれより泣きたいやつ」が「おれ」の中にいるので、「おれ」=「おれより泣きたいやつ」であることを容易に認識することは可能だか、「やつ」という言葉に「おれ」との「ずれ」を意識せざるを得ないし、自分の内部にあるはずなのに外部に位置づけられるようなどうにもならない他者として存在せざるを得ないだろう。それは、石原吉郎の他の詩作品にも言えることだが、言葉の反復の形式は、差異を消滅させるよりは、絶えず差異を作りだしてゆくことになる。つまり、「おれより泣きたいやつ」が反復の形式において、その存在を明瞭にしてゆく作業に他ならない。そして「おれ」は「おれより泣きたいやつ」を「ぶって泣かそうと/ごろごろたたみを/ころげてはみるがおいおい泣き出すのは/きまっておれだ」なのであり、ほとんど錯乱的に「おれ」が泣き叫ぶのを尻目に「おれより泣きたいやつ」は黙ったまま何も言葉を発することはない。では、何故、この「おれより泣きたいやつ」がこの詩において必要なのか。

 これを解くために前の議論に戻ってみよう。大量虐殺、あるいは戦争において何よりも恐ろしいのは、姓名を奪われることであると石原吉郎は述べたが、逆に言えば、一人一人の死を死ぬことは肯定されうるのではないか、ということだ。ここにおいて、石原吉郎が自殺の問題に恐ろしいほど接近する瞬間だろう。

 

 

 自殺は敗北である。そのことにかんするかぎり、私は結論へためらわない。だが、敗北とはなにか、なににたいしての敗北かということになると、私に明確なものはなにもない。日本の降伏が決定した日、その日のうちに、いくたりかの人が私の周囲で、それが当然の義務であるかのように自決した。その人たちの図式には、いかんともしがたい事実として敗北がまずあり、なんのためらいもない行動がそれにつづいた。自殺そのものを敗北とする発想は、その人達にはなかったのである。自殺という表現を拒み、自決という言葉をえらんだその人たちにとって、それはあくまで自己決定の行為だったのである。私には、その人たちの発想に、どんなかたちでも立ち入る意志はない。[6]

 

 

 「自殺は敗北である」としながらも、その「敗北」自体をその場で解体してゆく記述において、むしろそこに死への傾斜を見てしまう。晩年における実生活上の錯乱と、村上一郎自死に衝撃を受けて行われる自傷行為。法医学的には「病死」となっていながらも、郷原宏が「それは明らかに自殺だった。自殺ということばが誤解をまねきやすいのであれば、自死といいかえてもよい。いずれにしろ、その死は自然に向こうからやってきたのではなく、詩人が自ら招きよせたもの」[7]と述べたのは、ある面では正しいだろう。というよりも、石原吉郎にとって、詩を書くという行為そのものが、「牢獄の壁に姓名、名前を書きのこす行為」と等価であり、自分自身に死を与え、それを確認してゆく行為に他ならないのではないか。しかし、私の死は、必ず誰かに確認される必要がある。私は、私だけでは死ぬことは不可能なのである。

 

 

 

 私の死は私にしか死ねない?違いますよね。死に行くときに、自分は、誰でもない何かとなって死んでいくのです。無限に、灰色のなかに溶けていくのです。永遠に。死の過程に、終わりはありません。ああ、私はついに「死に終えた」と言うことができるひとは、誰もいません。だから、私は死ねません。私は、私の死を死ねません。自分が死んだかどうかを確かめるのは「この私がいない世界」の他人なんです。[8]

 

 

 

 私の死を確認するもう一人の他人(+1)が私の死を死たらしめるのにはどうしても必要なのである。石原吉郎の詩作品に見える奇妙な対象との距離の取り方、あるいは反復によって「ずれ」が産出されることによって無限の隔たりとして認識されることになるのは、むしろこの距離こそが、死を死として確認させるために必要となる距離であったのならばどうだろうか。例えば、「牢獄の壁に姓名、名前を書きのこすという行為」が行われるときに、それを読むことになるもう一人を想定することになる。もっと言うならば、そのもう一人の位置に身を置きながら、同時に「牢獄の壁に姓名、名前」は書かれるのではないか。この二重の分裂のうちに、一方(言葉)が一方(体験)を追いかけるような関係になるが、その距離をゼロにすることはできない。そもそも、強制収容所という現実の前では、体験を体験として認識するときには、既にそれは体験としてではなくて、追体験というものにならざるを得ないだろう。

 

 

 ことばはたえまなくうしなわれる運命にある。と同時に、私たちは行為をもうしなう運命にあります。ことばをうしなうということは、いわば行為をうしなうことの象徴です。(…)失語の過程を追うのは、すでに回復していることばであることに、注意していただきたいと思います。これは、私たちのあいだで<追体験>とよばれている過程ですが、このばあいの<追体験>は、体験そのものをはるかに遠ざかった地点でかろうじて回復したことばが、そこまで漂流した曲折をあらためてたどりなおして、ことばの喪失の原点へ里がえりするかたちで行われます。そうしなければ、うしなわれた空間が永久に埋まらないからです。[9]

 

 

 「強制収容所の凄まじい現実の中で、疲労し衰弱しきっている時には、およそその現実を<体験>として受け止める主体なんぞ存在しようがない」[10]からであると述べるが、そもそも体験を体験として語ろうとする時に、言葉によってその体験を追跡しなくてはならないので、そこには必ずある遅れを伴うことになり、どんな体験も最終的には追体験という形を取らざるを得ないのではないだろうか。「うしなわれた空間が永久に埋まらないからです」という言葉には、それが「永久に埋まらない」ことを意識的、無意識的に知りながらも、その場所に絶えず戻ろうとする強迫反復のように思える。彼の詩における反復する形式が、反復が行われるたびに体験に近づいているようで逆に遠ざかってゆくしかないのだ。しかし、それでも自身の体験を語ろうとすることは不可能であることを了解しながらも、書こうとするときに、「出血によって出血そのものを救おうとする」[11]ような悪循環に絡み取られるしかないのではないか。ここに彼の作品に見られる体験とそれを語ることの奇妙な捩れが存在する。その捩れを解消させるために、より一層の錯乱とそれに伴う解体が必要とされるのではないだろうか。

 しかし、存在を解体してゆく錯乱の中で、炸裂するユーモアが石原吉郎の作品にありはしないか。「賭けとpoesie」というエッセイにおいて、賭ける者の情熱が放棄する者の情熱とまさに同じものであることが述べられる。この賭けを、彼の後期の中心概念となる「断念」と同一平面上で見てみたくなる。「賭けるとは、数多くのあるもののなかから最もよいものを選び出すことではない。というのは、その時、賭けるという行為自身の前に一切のものが沈黙するからである。賭けるもの、賭けられるもの、それによって失うであろうもの、獲得するであろうもの、それら一切は窮極的には賭けるという行為の前でその意味を失う」[12]のように、ある賭けが行われるときに、むしろその賭けるという行為そのものが意味を持ち始めるのである。余談だが、「断念」においても、「断念」そのものが意味を持ち始めることになりはしないか。その「断念」を「断念」するために、「貧しさ」の方向に行かなければならなかったのではないか。とにかく、この賭けが行われる瞬間に、あるいは賭けそのものがユーモアを持ってしまうと石原は言う。

 

 

 もちろん、賭けるという行為のなかで、そのような切迫した壁のような危機があるだけではない。そこにはおそらく、僕たちが一挙に理解し納得しきれないほどのボリュームを持つユーモアがあるはずである。理性によってその生をささえて行かなければならないはずの人間が、しばしば賭けによらなければその危機を超克できないということ自体が、ユーモアをもってしか考えられないことなのだ。詩作の中にある「あそび」の要素は、おそらくこのようなユーモアと、どこかでつながっているのかもしれない。[13]

 

 

 石原吉郎はこれの他にもユーモアについて様々なエッセイで語っている。彼にとってこのユーモアというのは無視できないものであり、恐らく作品にとっても不可欠な存在であろう。安川奈緒石原吉郎を評するときに、「偉大なユーモア」(これは彼のエッセイのタイトルだが)の存在に注目していた。[14]そして、このユーモアは詩を書くという賭けにおいて、両者が再び奇妙に近づくことになる。それは、どういうことか。そもそも、書くということが、相手に完全に伝達されることを夢見るが、しかし、そこには絶えず「ずれ」や「差異」を生み出して送り返され、伝達の不可能性を確認してゆくことに他ならないのではないだろうか。しかし、むしろこの「交流」を目指しながらも、むしろそのたびごとに不可知性を認識してゆく状況を「テコ」にして、ひとり/ひとりの孤独の確信においてそれを「共有=分割(パルタージュ)」することによって、絶対的な孤独を交流させる。これは、ある意味で石原吉郎(そして安川奈緒)の「共同体」を考えることにもつながってくるように思える。

 

 

 

(…)テクストが読者の解釈に委ねられ、作者から発せられたメッセージの到着が無限に延期され続けるとしたら、作者と読者との関係、読者同士の関係は「われわれ」に融合する神秘的な合一では決してあり得ない。(…)言葉という封筒に入ったメッセージは常に誤配にさらされ、送り手である作者も受け手である読者もその誤配の可能性を排除できない。というよりも、そもそも「真のメッセージ」というものが本当に封筒に入っているのかどうか、存在するかどうかすらもわからないのだ。[15]

 

 

 

 むしろ、この「差異」や「ずれ」あるいは、メッセージの無限の延期や、誤配可能性が書くという絶対的な孤独(「単独者」と言い換えてもよいが)や、繋がることの不可能性の前における絶望的な賭けの前で、敢えてそれがユーモアに見えてしまうこと、そしてそのユーモアよって、逆説的にひとり/ひとりがひとりひとりとして繋がることが出来る糸口が見つかるのではないだろうか。

 最後に、安川奈緒の詩を引用して終わろうと思う。石原吉郎と同じように、絶対的な孤独を交流させることによって繋がろうとした詩人の炸裂するユーモア、目を覆いたくなる悲惨さに。

 

 

警察と駅員をしんとさせる

圧倒的なヒステリーだったけれども

肩をがくがくと揺らすと

「この高み!」

などと言うから殴ってやった

 

「ひとつでもあたらしいことを言う前に消えてしまえ」

 

他人の部屋の前で

「おまえのせいで わたしは死ぬ」

と倒れる

そのとき

下水道に横たわっていた男のほうは

助かりたくて

オレンジの花に触りつづけていた

 

(「今夜、すべてのメニューを」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[1]石原吉郎,1978,『一期一会の海』,日本基督教団出版局,p.225

[2]安川奈緒,2009,「イマジネール/都市のざわめき」『現代詩手帖2009年5月号』,思潮社,p.114

[3]安川奈緒,2009,「詩の存在論的倨傲について」『現代詩手帖2009年12月号』,思潮社,pp.72-73

[4]石原吉郎,1976,『断念の海から』,日本基督教団出版局,p.98

[5]石原,同上,pp.98-99

[6]石原吉郎,1970,『日常への強制』,構造社,p.220

[7]郷原宏,1978,「岸辺のない海」『現代詩読本 石原吉郎』,思潮社,p.130

[8]佐々木中,2015,『仝: selected lectures 2009-2014』,河出書房,p.59

[9]石原吉郎,2000,『海を流れる河―石原吉郎評論集』,同時代社,pp.54-55

[10]石原吉郎,1976,『断念の海から』,日本基督教団出版局,p.30

[11]石原吉郎,2000,『海を流れる河―石原吉郎評論集』,同時代社,p.63

[12]石原,同上,p.74

[13]石原,同上,pp.76-77

[14]安川奈緒,2009,「Me, Not my experience」『現代詩手帖2009年4月号』,思潮社,p.185

[15]福島勲,2011,『バタイユと文学空間』,水声社,p.82