「絨毯爆撃がしたい」

 時間がない。

 

 『子午線』に載った松本圭二の「マツモト・エレジー」を読んでいたが、最近は、また「モード」が変わったのではないか。

 2016年5月号の『ユリイカ 石原慎太郎特集』(しかし、何故石原慎太郎特集に載るのだろうかと思ったが、松本圭二も「イシハラ」について書いてあったよな、『重力』に掲載された方の「戦争まで」ていう詩で)の「ダブル・コックローチ」も、小詩集「ミミズノウタ」から五年ぶりの「詩」であるから「モード」というか書き方が変わっても驚くことはないが、この書き方、『アストロノート』では、曲がりなりにも「詩」であろうとしたが、それすらも放棄したのではないか。「ポエジーの最終形態としては徹底的な言語破壊」(「ダブル・コックローチ」)は、むしろ詩(から/へ)の回帰によって、この時代、「詩」であるということは、「散文的」であることのなし崩しの果てにしかないということなのだろうか。

 

 『松本圭二 : let's get lost : 私は何かの間違いで詩集を造ったりはしない : 前橋文学館特別企画展第14回萩原朔太郎賞受賞者展覧会』を借りて読んでみたが、松本圭二は高校時代、ブラスバンドに入っていたこと、大学入学後の一年間は早稲田大学交響団に入っていたこと、ちなみにクラリネットを演奏していたらしい。鎌田哲哉か何かが松本圭二は「ピンク映画」に出演していたということを言っていたように思うが、ここに載っている『月の漠(仮題)』『ヨコハマ・ロング・グッドバイ(仮題)』がそうなのだろうか。三本の映画に出演していて、そのうちの二本しか掲載されていないので、ここに掲載されていないのがそうなのかもしれない。分からない。