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石原吉郎―――単独者/絶望/弁証法

 

 

 石原吉郎キルケゴール。この二人について、むしろ、その「近さ」ゆえに語られることが少なかった、あるいはほとんどなかったように思える。どちらも、キリスト教を思想の根幹に据えて、全体の中の「個」を擁護する思想―――普遍的なものに上昇してゆく運動を試みるヘーゲルと対決するキルケゴールの姿には、強制収容所というシステムにおいて「個」を押し殺すことで、全体に奉仕させようとするメカニズムを「告発」した石原吉郎の姿が重なって見えるだろう。むしろ、石原吉郎の後期の「貧しさ」は、キルケゴールの思想から逆照射することでその輪郭を明瞭と出来るのではないか、この論考はそれを目的とする。

 しかし、石原吉郎と言えばキルケゴールよりもむしろ、カール・バルト、特に彼の『ロマ書』の影響関係を見る方が一般的かもしれない。カール・バルト自体がキルケゴールの影響下にあるのはもちろんだが、カール・バルトへの言及よりキルケゴールへの言及の方が実際のところ多い。石原吉郎におけるキルケゴールへの言及は、正確に言えば「一九五六年から一九五八年までのノート」「一九五九年から一九六二年までのノート」佐古純一郎との対談「キリストはだれのために十字架にかかったのか」あるいは「一九六八年六月十二日 坂本明子宛の手紙」である。特に、「一九五六年から一九五八年までのノート」の1956年の(8・22)(8・23)(8・24)その中でも(8・24)の「(…)“Krankheit zum Tode”(死に至る病)だけは手放すまい。私が生きるに値する生き方をしたか否かは、この一冊の理解にかかっている」とまで言い切っている。あるいは、坂本明子の手紙においては「私たちのどこかにダイナミックな突破口が開かれる可能性」をキルケゴールの中に求めていたのがうかがえる。ここでは、石原吉郎が「三種類ほどの翻訳」を読んだ『死に至る病』に焦点を絞ってみよう。

 キルケゴールは「自己」を「自己とは自己自身にかかはる一つの関係である。いひかへればこの関係のうちには、関係がそれ自身にかかはるといふことがふくまれてゐる。したがつてそれはただの関係ではなくて、関係がそれ自身にかかはることである」[1]と定義する。この晦渋な言い回しによって言いたいことは、つまり、「『自己』というのは自分で自分のことを反省しているかのような『内面行為』に見えながら、実際には常に他者=第三者と関係するような外的な関係によって満ちて」[2]いるということである。そして、この「関係」の中に生きなければ生けない我々には絶えず「絶望」の影が付きまとうことになる。なぜなら、絶望とは、「『一者が多者として存在する』という事態」[3]であるからである。それは「関係がそれ自身にかかはる」という「他者=第三者」の視線(「大文字の他者」?)に絶えず晒されているがゆえに「『他者』に措定されて『自己』があるのであって、『自己』に措定されて『他者』があるわけではない」[4]のである。

 この「自己」理解を、石原吉郎は「偉大なユーモア」において「パロディ」=「ユーモア」として再び語ることになるだろう。

 第一に、僕らは絶対に単独に存在しており、それ以外の方法では存在のしようがないのだということを。僕らの実体はひとつの完璧な「関係」であり、この「関係」は、それが生ずるや否や、もとの関係へ関係して行くよりほかはないというのが、単独者であるということの意味である。このような関係において僕は詩を書く。というより、詩は僕にとって、このような関係の確認以外のなにものでもない。このような関係において、僕らは孤独であり、無限に孤独である。(…)僕らのなかで連帯が始まるのは、僕らのおのおのが、神によって個別に拒否されているという承認が始まるときである。

                  (石原吉郎「偉大なユーモア」)

 

 「僕らの実体はひとつの完璧な『関係』であり、この『関係』は、それが生ずるや否や、もとの関係へ関係して行くよりほかはない」は、ほとんどキルケゴールの「関係がそれ自身にかかはる」そのままではあるが、問題は、我々が「絶対に単独に存在して」いるにも関わらずに「関係」の網の目に絡めとられて「自己」が「自己」から疎外されてゆく経験である。もちろん、我々は、生きている限り、絶えず「自己」を「自己」から疎外さされざるを得ないのだが、石原吉郎の場合は強制収容所において文字通り身をもって体験することになる。例えば、それは「ある<共生>の経験」で描き出された食事の分配の場面、「敵意や警戒心」に満ちた一対一の対峙において「公平な食事がとれるような方法」、つまり生きるためには「他者=第三者」としての「掟」が必要になるのである。そして、これによって、その「掟」が「自己」を決定して、「自己」を「自己」から疎外させる。強制収容所はそのような「掟」によって、人間を「均された」状態にしてゆく(=「私たちはほとんどおなじようなかたちで周囲に反応し、ほとんどおなじ発想で行動した」)あるいは、その「均された」状態=「平均化」の果てに「個」が「多数」の中に回収されることも意味する。なぜならば「ここではただ数の中へ埋没し去ることだけが、生き延びる道」であるからだ。むしろ、これは強制収容所という場所が特異であるというわけではなく、むしろ、我々が生きている社会もそのような「掟」が張り巡らされて、「平均化」されている。強制収容所という場所が、その「掟」を目に見えやすいように曝露しているに過ぎない。

 

 それにしても絶望は、いま一つの意味において一そう明らかに、死にいたる病である。この病ではひとは死なない(普通にひとが死ぬと言つてゐる意味では)。いひかへればこの病は肉体的な死をもつては終わらない。反対に、絶望の苦しみは、まさに死ぬことができないといふ点にある。絶望はいわゆる業病にとりつかれた者の症状に似てゐる。彼はそこに横たはつて死にさいなまれてゐながら死ぬことができない。かくて「死ぬばかりに病んでゐる」といふうのは、死ぬことができないといふうことであるが、といつて、生きられる希望がまだそこにあるわけではない。いな、最後の希望である死さへも来ないほどに希望が絶たれてゐるのである。死が最大の危機であるならば、ひとは生をねがふ。一そう恐るべき危機を知つたときには、ひとは死をねがふ。死が希望の対象となるまでに危険が大きくなつた場合の絶望とは、死ぬことができるといふ希望さへも絶たれてゐることである。[5]

 

 『死に至る病』におけるこの部分は世界の強制収容所化を生きる我々にとってあまりにも予言的な響きを持っているかもしれない。もちろん、総力戦とそれに付随して誕生することになる強制収容所キルケゴールが知るよしもないが、今この箇所は全く別様に読まれるべきであろう。「彼はそこに横たはつて死にさいなまれてゐながら死ぬことができない」は、石原吉郎の詩「葬列列車」における「真っ黒なかたまりが/投げ込まれる/そいつはみんな生きており/汽車が走っているときでも/みんなずっと生きているのだが/それでいて汽車のなかは/どこでも屍臭がたちこめている」状況、つまり、人間が剝き出しの「もの」として存在せざるを得ないことを思い出させる。石原吉郎は収容所体験において二度の「淘汰」を目撃したが、むしろ、その「淘汰」を超えてしまえば、「死」を断念しなくてはいけない(間違っても「生きる」ことを選び取ることではない。「死」を断念することによって、「生きている」にすぎない)しかし、このような「絶望」的な状況において、むしろ、そこに「単独者」になる可能性を石原吉郎は見出しうる。つまり、「個」が「多数」に飲み込まれることによって一旦、主体性を喪失する=「失語」を経験することによって、逆説的に「単独者」の自覚を持つことになる。この「絶望」を媒介とした「弁証法」の動き、そして最終的に到達する「単独者」という運動は実は『死に至る病』においても見出すことができる。

死に至る病』において、キルケゴールは、「絶望」を「弁証法」的に論述する。なぜなら「絶望はキルケゴール自身がたびたびそう述べているように、明らかに『弁証法的』性格を持っている。絶望は人間にとって恐るべき病であると同時に、それこそが信仰への第一の契機となるというもろ刃の剣であり、病と救いの弁証法を内に含んでいる。『死に至る病とは絶望Fortvivelseである。』絶望はどこまでも病であって、薬ではない。しかし、不安の概念において、『正しく不安になることを学んだ者が最高のことを学んだ』と言われるように、ここでも絶望は、『信仰にいたる通路』となる」[6]がゆえに、最高度の「絶望」は同時にそれだけ「救済」の可能性も高まることになる(「危険の存在するところ、救いもまた育つ」)キルケゴールは、そのように「絶望」を段階的に叙述する。つまり、最低度の「絶望」である「絶望であることを知らない絶望」、自分が「絶望」であることに気づいていない「絶望」であり、大多数の人々はこのまどろみの中にいる。二段階目の「絶望であることを知つてゐる絶望」、そしてこの絶望は、さらに二つに分けることができる。つまり、a「絶望して自己自身であらうと欲しない場合。弱気の絶望」(=「女性の絶望」)b「絶望して自己自身であらうと欲する絶望。傲慢」(=「男性の絶望」)。aの「弱気の絶望」は、さらに二種類あり、①地上的なものについて絶望する弱気②永遠なものに対しての絶望。この②が内に閉じこもって強度を増すと、bの「傲慢」になり、「傲慢」は「自己についての意識の上昇があり、絶望についての意識もさらに大きくなっている。絶望は、行為としての自己を意識しており、もはや外からくる受難ではなく、直接に自己から来るのである。絶望して自己自身であろうとするためには、無限な自己の意識がなければならない。彼は否定的な自己の力を借りて、彼の良くする自己を作り出そうとする。絶望して自己自身であとうとする、かかる意識が『ストイシズム』と呼ばれてよい絶望」[7]である。この最終段階であると同時に最高度の「絶望」を癒すためには、その「自己」の執着を捨てること、それは取りも直さず神との一対一の関係に入ること、「信仰」の情熱に賭けることである。

 このようにみていくと、石原吉郎はbの「絶望して自己自身であらうと欲する絶望」を如何にブレイクスルーするか(「脱-自」)に全存在を賭けているかのように見える。つまり、初期-中期の自身の「体験」に根ざした「位置」=「姿勢」に凝固させる強度のある詩作から、後期のそれすらも突き崩す「貧しさ」への移行は、「断念」を「断念」するという場所まで行きつくことになる。そこには、「位置」=「姿勢」は、あるいは「告発しない」という意思も存在することはもうない。ただ、「なによりまず疲労があり その期待として衰弱がある この重大な錯誤に私が狎れることはない 相互の反応の外に私は在る 安んじて疲労し 衰弱しつづける 私は疲れた」(「衰弱へ」)の「私は疲れた」という瘦せ細った言葉に「賭けるものの情熱は放棄する者の情熱とは同じものである」と語る詩人は「賭け」たのではなかったか。

 

[1]キェルケゴール 松浪信三郎訳,1948,『絶望に至る病』,小石川書房,p.12

[2]村瀬学,1986,『新しいキルケゴール―多者あるいは複数自己の理論を求めて』,大和書房,p.266

[3]村瀬,同上, p.263

[4]村瀬,同上, p.275

[5]キェルケゴール,同上,p.21

[6]豊福 淳一,1995,『キルケゴールの実存思想―ヘーゲルと対比しつつ』,高文堂出版社,p.272

[7]豊島,同上, pp.279-280